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空色ノート

「今」という瞬間の選択で過去が変わる

一円融合 心田開発 より




「宇宙パラレルワールドの超しくみ」 サアラ ヒカルランド


「今」という瞬間の選択で過去を書き換えることもできる!



 もう一つ、私の驚くべき経験をここでお話ししておきましょう。

 それは、今から10年ほど前のことですが、私は重たい植木鉢を抱えて、約束していた花屋に行くために、マンションの外階段を下りていました。
 約束の時間に間に合うかどうか心配だったので、焦って階段を下りていると、途中で転倒してしまいました。

 しかし、植木鉢を手放せば当然割れてしまうし、下に誰か人がいたら怪我をさせてしまうかもしれないと思うと、手を離せずに重力と勢いに任せて相当派手に転びました。
 その時足のほうでメリメリ、バキッと、鈍い音が聞こえました。
 その瞬間は痛みの封まり目が飛び出すかと思いました。

 そして、階段の下でひっくり返ったまま、恐る恐る足を見上げると、明後日の方向を向いた足が霞んで見えます。
 すぐに前を向き、目を閉じて考えました。「う~んと、腕にかけてあったはずのバッグがおそらくどこかにあって、そこに手を突っ込めば、携帯電話があるはずだから、119を押して救急車を呼んだとすると、このまま到着を少なくとも15分は待って、それから帰宅するはずの子供たちに電話をして、入院、手術、約束していた花屋に電話して……あ~もう無理だわ!
私にはそんな暇はない!
 入院して手術をするような優雅なことはしていられない」と、かなり長い間無様な格好のまま考えて私が出した結論は、「無理! こんな現実は受け入れられないわ!」でした。

 その間はすべての時間が止まっていて、急に何の痛みも感じていない自分に気づきました。
「これは、もしかしていけるかも」と理由もなく思うと、そろそろと立ち上がり、明後日の方向を向いていたはずの足には目を向けずに、ひたすら何もなかったかのような振舞いをすることに専念しました。

 植木鉢は割れてしまっていましたが、それを集めて、再び抱え、ゆっくり階段を下りると、植木鉢を車に積んで運転席に座ります。
 動かないはずの右足で、これからアクセルとブレーキを踏み続けなくてはなりませんが、私は、そのことより花屋に何と言って遅れたことを謝ろうかを考えていました。すると痛みもなく、足も自由に動きます。

 その日の出来事は、私の夢の世界に投げ込み、現実をすり替えることに見事に成功しました。

 それ以外にも、何度かこのような経験がある私にとって、「過去を書き換えることは可能だ」ということは、単なる理論ではなく真実です。

 皆さんは、未来のことを考えるときに、よく過去と照らし合わせて検討するという作業を行っています。それは無意識かもしれませんが、かなりの頻度で行っています。

 たとえば、「今度一緒にスノボーしに行かない?」と誘われたとします。あなたの脳は、瞬間に自分が上手に滑っている記憶を探そうとしますが、この記憶がないことに気づくと、途端に怖気づいて誘いに乗るべきか否かを必死で検討します。

 しかし、興味深いのは、あなたが上手く、あるいは楽しく滑っている光景をイメージできるかどうかが問題で、実際にあなたがスノーボードをした経験があるかどうかは問題ではないのです。

 脳は、イマジネーションと現実の違いを区別することはありません。ですから、脳にとって、イマジネーションは記憶に他ならないのです。
 実際にスノーボードをしたことがなくても、上手に滑れるイメージができると、脳は、勝手に経験したことであるかのように認識し、あなた自身も何となく自分にもうまく滑れるような気になって、行くことが楽しみになります。

 このような脳の単純さとかなり大雑把な性質を利用して、実現化する試みが多くみられます。
 特にスポーツの世界などでは、実際の練習以上にイメージトレーニングということを重要視されています。

 さて、今のケースは実際にスノーボードを経験したことがない場合、上手に滑れるイメージができれば、誘いに乗るでしょうという話でした。

 では、逆にもし以前にスノーボードで大きく転倒し、骨折をした経験がある場合には、当然、脳内ではその時のさまざまな記憶を掘り起こして、一斉にやめろサインを出します。あなたはどんどん気が重くなって、その日は都合が悪いことになったり、お財布が淋しいことになったり、お母さんを病気にしたり、断るための正当的な理由をあれこれと考え始めるでしょう。
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