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空色ノート

与えるものが受け取るもの

zeraniumのブログより



「バシャール14」自分が受け取りたいものを送り出す

   あなたが自分のまわりに創りだしているものは、「あなたが持っている観念を完璧に表わしている」と言う意味で完全なのです。もし、自分が作りだしている世界が望んでいるものでないとしたら、それはあなたが無意識のうちに「その選択をしていた」ということです。自分で実現化したい観念を、無意識のうちに実現していたということです。

   望んでいない観念は、あなたの一番強い感情を通して実現化されます。
   否定的な視点を含んでいる観念は、通常、それらの観念を実現化するために否定的な感情を生み出します。そして、これを繰り返します。つまり否定的な観念は否定的な感情を生み出し、否定的なものを実現化するのです。

    一方、肯定的な観念は肯定的な感情を創りだし、それが自然に肯定的な現実を作り出すことになり、それは繰り返されます。ですから、「自分は望むものを自由に実現化できる」という肯定的な観念を持つと、それがよろこびに満ちた感情をもたらし、それによって肯定的な結果を実現させます。 

   自分に対する無価値感と罪悪感の観念は、疑いと怖れの感情を生み出します。
 そして、無価値感と罪悪感と「努力」の苦しい感情を実現化することになります。 これが「創造の物理学」なのです。


   これはあなたが応用できるたった一つの法則を表わしています。
   この一つの法則とは、次のようなものです。「自分の与えるものが自分に戻ってくる」、これだけなのです。この法則以外にあなたを縛るものは、この宇宙にはないということです。あなた方がこの宇宙に存在していると考えている複雑さは、この一つの法則がいろいろに絡み合っているだけなのです。

自分の与えるものが自分に戻ってきます

   あなたの波動が、どのような現実を体験するかを決定します。
   あなた方がエネルギーで造られていることはすでに知っていると思いますが、物理的な物質も、単なるエネルギーが織りなすパターン、模様なのです。そしてそれらは固有の振動数を持っています。この固有の振動数が、ある瞬間のあなたの性格を決定します。そして、その瞬間のあなたの性格が、体験する現実を決めます。あなたはこの現実の中にいるのではなくて、あなたがこの現実そのものなのです。

   ですからあなたが「道をはずれる」ということはあり得ないことです。
   なぜならあなた自身が、「道そのもの」」であるからです。つまり、自分自身から外れるということはあり得ません。よって、あなたのまわりで起きることはすべて、あなたの中で起きていることです。あなたの周りの現実が自分の望むものでなければ、そのことから学ぶべきものを学び、いかに自分の望むものに変えていけるかを学んでください。

   自分の望まないことが人生に起きたとき、別に「あなたはここで停滞して先に行けない」ということを示しているのではありません。また、「あなたは創造する者として失格だ」ということを教えようとしているのでもありません。そうした状況は、あなたの中に、自分で望まない観念があるということを見せるために起きています。もし、それが望むものでなければ、望む方向に自分で変えていくことができます。しかし、自分自身のものでないものは変えることはできません。

   望むものであれ、望まないものであれ、自分にふりかかる現実を「自分のものとして」見てください。それはその嫌いな現実を好きになることではないし、それに自分を合わせていくことではありません。「自分がこの現実を創りだしている創造主だから、そのゆえに自分が望む方向にも変えることができる」ということを認めるだけのことなのです。

   それでは、望む現実を創り出すための道具となる三つのステップについて話します。
   「想像」あるいは「視覚化」、「感情」または「願望」、「行動」あるいは「物理的表現」、この三つが一つになって「演じる」ことができます。先ほど、自分の波動が自分の現実を創り出すと言ったのを思い出してください。自分の望む状態を視覚化したり、イメージで見始めたりするにしたがって、あなたにとても大切なことが起き始めます。それは、イメージしているとき、あなたはその現実の波動になるのです。自分の中から湧き出る願望は、その波動が活性化していることを教えてくれます。

   そこまで行くと、今まで持っていた多くの古い観念がパチッとショートしてしまうのですが、でも多くの人のほとんどは、ここでやめてしまいます。想像から感情、そして行動へと行く代わりに、想像から疑いを感じるほうへ行ってしまいます。
「こんな風になりたい自分が見えてきた。そうなったら何て素晴らしいんだろう! でも、とてもできない。なぜなら・・・」といくらでも理由が出てきます。ほとんどの人は、それらの理由を考えたくないと思っているにもかかわらず、すでに持っている観念による「想像」で自分にプレッシャーを与えてしまいます。

   自分を最初にショートさせてしまう観念の一つは、「本当に望むものを行動に移すには、大変な努力とスタミナがいる」という観念です。どうすれば行動に移せるか、その方法をいろいろ考えるだけでくたびれてしまいます。ここで強調したいのは、「自分が強く望んでいることは、努力の必要なしに実現できる」ということなのです。なぜなら、それがあなたの本質に一番近いからです。スタミナが必要になるのは、「自分自身でないもの」になろうとしているときだけなのです。

   「しようとしている状態」は本当のあなたの状態ではありません。
   「しようとしている状態」とは、まわりの現実と自分の中にあるタイミングを信頼していないときに生じます。自然が自分に与えてくれた道具を信頼していない、ということです。「しようとしている状態」はまだ、「まわりの人が期待していること」をやろうとしているときの状態です。「しようとしている」ときは、まだ「努力を必要としない本当のあなた」以外のパターンに従おうとしています。

   しかし自分が一番ワクワクすることを、「自然にむこうからやってくる一番はっきりとした機会」に行動に移せば、努力はまったくいりません。




              book  「BASHAR 」 チャネル ダリル・アンカ
                       VOICE新書刊

                         から抜粋
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ワクワクを最優先

zeraniumのブログより


「バシャール 7」 ワクワクすることを最優先する

  もし、あなたが存在しているならば、あなたはここにいて当然な人なのです。
   そして、あなたがここにいて当然なら、自分が一番やりたいことができるはずです。すべてのものには、完璧な場所が与えられています。でも「ワクワクを実行するには非常に難しい状況がある」と教えられてきたかもしれませんそれは状況そのものに力があるとする見方ですが、こうした「状況」の中には「力」はありません。

   それは単なる一つの定義づけであって、状況そのものは常に「中立」です。
   なぜなら、「人生とは、あなたに降りかかってくるものではなく、あなたを通して創られる
もの」であるからです。起きている状況に対して、あなたがどのような意味づけをするか、どのような定義づけをするよう教えられてきたかということが、100%そこから創り出す結果を決定します

   それでは現実をいかに定義づけし直すかについて話をしましょう。
   あなたがとてもワクワクするようなものがあったとします。たとえば、大きな家を持ちたいとしましょう。大きな家を持つことはいいことだけれど、そのためには一生懸命働いて、お金をためなければならない、と小さい頃から教えられていたとします。ですから、20年か30年もすれば家もなんとかなるだろうと考えます。ここまで考えると、どういうわけか急にワクワクした気持ちがしぼんでしまったりします。

   そのワクワクが保てたとします。
   その大きな家を持つことが、自分にとって一番ワクワクすることなのです。でも、一番ワクワクするものを手に入れるためには、まだ何らかの決まった方法でやらなければならないと思っていたとしましょう。誰かに「なぜ?」と聞かれると、あなたは「世の中そういうものだよ」と答えます。ですから、家を欲しいと思いながら、それを実現するために、貯金ができるように仕事を探しに行きます。でも、家を持つことに対してワクワクするほど、仕事に対してはワクワクしないのです。

  そんな時、向こうから友人が歩いてきます。
  そして、その友人が言います。

  「久しぶりだね。どぉ、昼飯でも一緒に食わない?」

   あなたは、これからやりに行こうと思っていたことよりも、友人と食事をするほうがよっぽどワクワクすると感じます。 『でも今食いに行ってたら、面接に間に合わない。そうすると仕事が決まらないし、金が入らないし、家を買う金がたまらない』、と考えます。

   ところが彼はしつこく、「腹が減ってるみたいじゃないか、すぐ行こう。何もあわてて今すぐ面接に行かなくたっていいだろう?」 としつこく誘ってくれます。するとあなたは、『うーん、たしかに腹はへってる。だけどだめだ、自分はヤッパリ仕事を見つけて家を買うんだ。それが一番ワクワクするんだ』と考え直します。

   そして、友人から、「家を持つことがワクワクすることなのか?」と聞かれると、あなたは当然、「もちろんだ」と答えます。でもその友人に、「その仕事自体は、そんなにワクワクすることではないんだろう?」といわれると、「言われてみれば、その通りだ」と思わず納得してしまいます。

   「じゃあ、一番ワクワクすることを、今できないとしたら、二番目にワクワクすることをやるってのはどう? だから、飯食いに行こうよ。」と彼は言います。『家を買うことが一番ワクワクすることだけど、それは今どうしようもない。でも、二番目にワクワクするすること、つまり、友人と食いに行くことはできるから、よし、行くか !』と、あなたは決めたとします。

  それでも、「余りながくはつきあえないよ。やっぱり面接に行くから」、と付け加えることを忘れません。そして友人と食事に行きます。こうして楽しい食事をして、つい時間のたつのを忘れてしまいました。少したって、すでに面接の時間を大きくオーバーしていて間に合わなかったことに気がつきます。あなたはガッカリしてしまいます。

  しかし、友人が言います、
「でもきみは、自分がその瞬間にできる範囲で、二番目にワクワクすることをやっていたんじゃない、違うか?」 「それはそうだけど・・・、じゃあ、一番ワクワクする家のほうはどうなるんだ?」
           
   「君は知らないようだけど、「ワクワクする気持ち」っていうのは、ちょうど糸のようにすべ てつながっているんだ。だから、一番ワクワクすることに対して、何をしていいかわからないときでも、その次にワクワクすることをしていれば、どういうわけかつながっていくんだ。」

   「なに言ってんの? そんなの現実的じゃないよ。」

   「でも、僕はそれでいつもうまくいってるんだ。だから君もうまくいくんじゃないかと思ったんだ。まあ、この話はまた後にしよう。」 

   その時、向こうから友人の知り合いが声をかけてきて、三人で食事をすることになりました。「仕事の面接もすっぽかしちゃったし、金もないし、家なんか買えない・・・」と、今来たばかりの友人の知り合いに話します。

   するとその友人は、「君は家が欲しいのか?」と聞き返します。
   あなたは続けます。「丘の上の素晴らしい家を知っているけど、あんな家を欲しいなあと思って、理想の家のイメージに使っているんだ。」 

   三番目の友人が言います。
   「君が言っているのは、あの向こうの丘の上の家のことか?」

   「そう、あれだよ、あの家だよ。」

   「ああいう家が欲しいんだな ?!」と三番目の友人が驚いたように言います。

 そして続けて、「なんて偶然なんだ ! ちょうど僕は向こう5年間海外出張で、その間、家の面倒を見てくれる人を探していたところなんだ !」

   「へえ、そうなの?、で君はどこに住んでいるの?」

   「君の言っていた、あの丘の上の家だよ。」
 
   「えっ、あれが君の家?」

   「そうなんだ。どうだろう、君があそこに住んでくれないだろうか?
友人の友人だから信頼できるし、きれいに使ってくれるだろうし、僕の代わりに家の面倒を見てくれれば、お金はいらない。

  君が一番住みたい家に住む代わりに、僕の家の面倒を見てもらえないだろうか?」 

  すると、最初の友人が言います、
  「ほら、僕はいつもこういう感じにうまくいくんだ。君もうまく行き出したじゃないか!」

   ちょっとできすぎでしょうか? でもそうではないのです。
   単なる偶然でしょうか?  でも偶然ではありませんね。英語で、Co-Incidence は「偶然」という意味ですがそれは、Co (共同)で創ったIncidence(状況)なのです。この世に偶然はありません。ワクワクの糸をたどっていくとき、必ず次のワクワクが出てきます。最初は表面的には見えませんがあなたが自分に許しさえすれば、人生というものは常に、このように流れます。



               book 「BASHAR 」 チャネル ダリル・アンカ 
                       VOICE新書刊

                         から抜粋
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