空色ノート
人類が偽りの世界(マトリックス)から解放されるためにブログを綴っています。同じ目的意識を持った皆さま、どうぞご協力お願いいたします。

変わりたいのなら・・・

zeraniumのブログ より


今の状況を変えたければ思考と感情の「質」を変える

   経験とは、心と霊、意識的な考えと感情、それに無意識の考えと感情の産物なのです。
   それらが一緒になってあなたの知るリアリティという現実をつくり上げています。ですからあなたは、自分とは無関係に存在するように思われる現実に翻弄されているわけではなく、一方的にそのリアリティが押し付けられているわけでもありません。

   あなたは自分の経験を構成する物理的な出来事とあまりにも密接に結びついているので、物質的な現象と、それを生じさせている想念や願望、また期待との区別がつかなくなることがよくあるのです。

   あなたの心の奥深くに存在する思いに「強い否定的な側面」があるならば、そのネガティブな側面は、あなたとより充実した人生との間に鉄格子となって立ちふさがり、あなたはその鉄格子の間から外を眺めています。しかしその鉄格子はあなたの目には入らず、それはあなたが気づくまで妨げとなって存在し続けます。

   しかしながらそういう障害物でさえが、存在するためのプラスの理由があります。
   もしそれがあなたのものであり、あなたがそれに気づいて取り除きたいと思い、それらが存在するようになった事情を突き止めるのはあなたであり、あなたの責任なのです。

   そのような障害物を発見するために、さまざまな思考というものが大きな手がかりとなります。あなた方は自分で思っているほど、自らの思考をよく理解してはいません。あなた方の意識的な思いは、指の間からこぼれる水のようにあなたをすり抜けていくのです。その水はあなた方の心全体に必要な養分を運んでくれますが、同時にヘドロや泥なども頻繁に運び込むので、それが体験や創造性の水路を詰まらせる原因になっています。

   自分の思考を洗い直すならば、心の内なる状態や意図、期待などについて多くのことを理解するようになり、困難や問題がはっきりと見えてくるでしょう。自分の想念、思いを検証してみると、自分が向かおうとしているものが何なのかがわかります。それらは物理的に起こる出来事の本質を明確に示しています。なぜなら物理的に存在しているものはすべて、そもそも想念や感情の中に存在していたものであるからです。それ以外の因果関係というものはどこにもありません。

   あなた方が意識的な思考力を持っているのには十分な理由があります。
   つまり、自分で意識的に黙って従う者でもない限り、あなたは「無意識の衝動」のなすがままになることはないからです。あなたが今この瞬間の感情や意志というものを自覚するならば、自分の今の「立ち位置」というものをいつでも知ることができます。

   今の経験が気に入らないならば、自分の考え方や感情や期待の「質」というものを変えなければなりません。つまりその意味は、あなたが自分の思考を通して、自分自身の肉体や友人や同僚といった他の人々に送り出している「思い」というメッセージの質を、変える必要があるということなのです。

   あなた方の観点からすると、どのような思考も「現実化」します。
   つまり同じようなことを習慣的に繰り返し思考していれば、多かれ少なかれ、その思考は影響力を持っているように思われるのです。しかしそのことを意識せず、それのもたらす影響の結果を気に入っている場合であれば、そのゆえに自分の思考について考えてみることはありません。しかしながら次々と物理的な問題や困難が起きて来ると、その時になってやっと、「なぜこんなことが起きるのだろう」、「何が悪いのだろう」と考え始めるのです。

   時には誰かを責め、自分を責め、自分の境遇を嘆き、人生を呪い、もし転生を信じていれば前世のせいにします。あるいは神が与えた試練であるとか、悪魔に責任があるとか、あるいは「人生とはこういうものだ」などと言って、否定的な経験を避けられない運命として受け入れたりするかもしれません。

   場合によっては、「現実というものの本質」について中途半端な理解を持っているので、「自分がこういう結果を引き起こした原因だ」ということには気がついていても、「それを変えることはできない」と思っているので嘆き悲しむかもしれません。

   しかし嘆き悲しむこと自体が、自分の経験を創造しているのが自分自身であることを信じていないからであり、それがわかれば自分の中途半端な理解に気がつくはずです。この事実に気づくならば、すぐさまあなたはその落胆や不満をもたらした状況を変え始めることでしょう。

   誰もあなたに、こう考えなさいと強制するものはいません。
   しかしあなた方はこれまでの過去において、出来事を悲観的に捉えて考える習性というものを身につけてしまっているかもしれません。もしそうならその結果、楽観論よりも悲観論のほうをより現実的だと考えているはずです。

   多くの人々がそうであるようにあなたも、悲しみは人を気高くし、深遠な精神性の象徴であるとし、嘆き悲しみは孤高のしるしで、聖人や詩人がまとう心の装いとさえ考えているかもしれません。しかしこれほど、真実とかけ離れたものはありません。

   すべて意識というものは、自らの能力をフルに活用し、許容量を押し広げ、自分にとって障壁と見える体験にも立ち向かい、それを喜んで乗り越えていこうとする強い深遠な衝動が、本来不変的に備わっています。

   それは超最小微粒子の分子や素粒子に内在する意識であり、意識は限界を意味するどんな概念にも抗議の声を挙げ、新しい形や経験を切望するのです。それだけでなく原子や分子でさえが、絶えず新たな構造や新たな意味を持つ組織に加わろうとし、しかもそれを「本能的」にそうしているのです。

   人間は自らの創造物のすべてを管理するだけの意識を持っており、それを自らつくり出しています。そのために自らのすべてを管理するために必要な潜在的なあらゆる熱望や無意識的な動機、また言葉にならない衝動が、あなたの意識の承諾を求めて浮上し、あなたの指示を待っているのです。

   あなたの意識が自分の役目を放棄しない限り、人間は「ネガティブな経験」に左右されることはありません。あなたの意識が責任を拒絶した時にだけ、自分ではコントロールできないように見える出来事に、無抵抗で翻弄でされている自分に、やっと気づくのです。


       セス・ブック 「個人的現実の本質」 ジェーン・ロバーツ著ロバート・F・バッツ記録









世が創りだす争いのしくみ 感情は「外」が見せてくれる自分の「内面」

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