空色ノート
人類が偽りの世界(マトリックス)から解放されるためにブログを綴っています。同じ目的意識を持った皆さま、どうぞご協力お願いいたします。

時間

「時間が無い!」「忙しい!」が口癖になってる人はとても多い。これは時間というものを強く意識している証拠で、そういう人は老化のスピードも早いらしい。「自分はもう○○歳だから・・・」とよく聞く発言もやはり、老化の速度を速めることになる。
セカセカしている人を見ていて思うのは、彼らはまるで行き先不明の特急列車に乗り込んで、更に車中でも無意味に歩き回っているように見えるということ。


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で、何でこの電車に乗っているのか聞いてみると、思ったとおりの答えが返ってくる。「分からない。でも“みんな”もこの電車に乗ってるから自分も乗らなきゃと思って・・・」と。行き先は分からないけど、“みんなと同じ”特急列車に乗って「忙しい。時間がない」と言ってることにどこか安心しているようにも見える。こういう人にとって、自分だけ途中下車して各駅に乗り換えて穏やかで静かな時間を過ごすというのは恐怖以外の何ものでもないのだろう。しかし、老いて列車からほっぽり出され、突然時間がたっぷり出来たときには何をやっていいのか分からず、ただただ時間を潰すだけの虚しい毎日を送ることになる(生きがいは孫か病院で会う常連の仲間と何処が悪いのかを自慢し合うこと。必要とされず、やることのない寂しさからボケやすくなるし詐欺にも合いやすい)。
本来は存在しない時間という概念を作って人間を支配しているイルミナティにとって、自分たちの思惑通りに動いてくれるこのような人間たちは非常においしい存在ということになる。



途中下車してお茶の時間を楽しむことに何か問題でも??
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<本日の結論>
時間て感覚を捨てちゃえばいいんだよ。だって最初から時間なんて存在しないんだからさ。
捨てちゃえー!
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Alice in Wonderland: I'm Late & Down the Rabbit Hole




デービッド・アイク著・『ムーンマトリックス (覚醒編⑥)』


年を取るのも錯覚

 政府のマインド・コントロール計画で精神的奴隷となり、それから回復しつつある人に何人も会ったことがある。彼らは洗脳(プログラミング)の一環として、時計を持つことを許可されず、「時間」を意識することを禁止されたが、その期間、同年齢の人々と比べて、わずかしか年を取っていない。彼らのDNA・細胞システムは、時間という錯覚にそれほど接続されていなかったため、年を取るという思い込み(プログラム)とそれに相当する経験をすることがなかったのである。爬虫類人たちは、かつての人類がそうであったように、信じられないほど長く人々が生きることを望んではいない。
 爬虫類人から見ると、死そのもの、死の苦痛、愛する人々の悲嘆から生成される低い振動の感情を伴う死のプロセスには莫大な「おいしい」エネルギーが潜んでいる。また、死ぬ人が多いほど、死の恐怖も蔓延することになる。これは支配メカニズムの核心であるとともに、主要なエネルギー源でもある。
 私は全ての人に、腕時計を外し、部屋の時計にも覆いを被せるべきだと勧めているわけではない。それができる人ならば、よい選択かもしれない。だが、我々には時間に関する認識を変えることができる。時間は錯覚であるという本来の認識をすればよい。この時間に縛られた社会では、「時間」を確認することで、確実に誰かに会うこともできる。遅れていったらもう相手がいなかったということもない。だが、そうするときにも、「時間」は、この現実の構造物であり、実在するわけではないと認識することはできる。海に引かれた目に見えない線(日付変更線)で、飛行機がどっちに向かっているかによって明日になったり昨日になったりする程度にしか「実在」していないのである。この認識は強力である。
 時間という錯覚を、無意識から追い出し、「ここ」の覚醒に持ち込むことができるからである。意識下(サブリミナル)、心理的な閾(しきい)のもとで時間の錯覚が働くことがなくなり、以前のように現実感覚を左右する力を失うことになる。と言いながら、私も「以前」という言葉を使ってしまった。このように我々の言語そのものが「時間」という概念を基盤としており、これもまた、常に「時間」の存在を我々に思い込ませる根拠になっている。
 現代人が使っている言語は、心(マインド)に支配され、時間に取り憑かれた者が開発したため、「時間は存在しない」ということを適切に表現する言葉を我々は持ち合わせていない。意識は時間のない状態にある一方で、心(マインド)は「時間」という錯覚の認識に我々を閉じ込めている。そうしてみると、「時間」という思い込みが、いかに我々を意識から切り離す上で、大きな要素になっているかが分かるだろう。
 過去・未来という錯覚への隷従から脱却し、意識的に「今、ここ」に生きるようにすると、いろいろな変化が生じる。一つには、今何をしているか、今どんな状態であるかに集中できるようになり、過去や未来のこととして認知することに引っ張られたり、集中を乱されたりすることがなくなる。「あぁ、あんなことをしなければよかったのに」、「これからどうなるか不安でたまらない」というように、後悔したり(過去)、何かをしなければならないと考えたり(未来)する必要がなくなる。どれほど多くの人生が、どれほど多くの「今」が、こうした後悔や不安で無駄になっているだろうか?多くの人々は、「過去」の記憶や、「未来」の予測として自らの「人生」を生きている。
 だが、「今、ここ」だけが存在する唯一の「時」であり、我々が何かを変える行動をすることのできる「時」である。過去や未来といった錯覚に囚われていると、そのチャンスを逃すことになる。ジョン・レノンが書いているように、「人生とは、あなたが忙しく何かを計画している最中に、起きていること」である。





今年も猛暑が続きそうですが、みなさん、どうぞ体調には気をつけて夏を満喫してくださいネ
あ、これも時間を意識した言葉ですね(汗)言葉って本当に時間に縛られてますね。
でも、意識を“今”にフォーカスして、夏を満喫してくださいネ~

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