空色ノート
ニコニコ日和改め、そらいろノートです。気まぐれ更新ですが、よろしくお願いします。 転載などご自由に!(ノ゚∀゚)ノドゥゾ

伝統のものは良いという思い込み

私がこのブログで伝えたいことの一つに、常識というものを疑うということがあります。
日本人として、地球人として当然と思われていて誰も疑うことのないようなものであっても、それを当たり前と流す前に、自分なりに考えてみる必要があるということです。
例えば、先日の時間の記事ですが、時間があるということを疑う人ってまずいないと思うんです。私もそうでしたし。でも、調べれば調べるほど結局これも嘘だったということが分かってきます。時間なんて本当は存在しない。時間は、イルミナティによって作りだされた人間管理のためのツールだそうです。人生を儚くあっという間に年老いて死んでいくようにデザインし、その分また次々と新しい命を誕生させるというやり方(性欲、オーガズムというのも彼らによって人間に備えつけられたとのこと)。本来人間は年など取らないと言うじゃないですか。爬虫類人の介入以前の地球では、時間などなく、不老不死で、出産などもなく・・あってもとても軽いもので(月経や苦しみを伴う出産も爬虫類人によってもたらされたそうです)、この地球に来たいと思った魂が好きな器(肉体)を選んでここに来て、「もうそろそろ満喫したからいっかな」って思ったらこの次元から自由に出て行くという感じだったみたいです。だから、「私もうここ去るね」って周りの人に話したら、「そうなんだ~。自分はもう少しいようと思うんだ。じゃあね~」みたいな感じだったんじゃないですかね。今の私にとってこの話は心から信じられる話で、こちらの方が絶対自然だって思いますね(何か自分の魂がそのときのことを思い出したって感じ)。
このように、常識を疑うことは、イルミナティの洗脳から自由になることと直結します。彼らが人間牧場を作って人間を管理するために常識とか普通とか標準というものを作った張本人なのですから。
催眠にかかった私たちは、それを疑うことなく受け入れ、それにずっと従ってきましたが、その習慣をやめて常識に疑問を持つようになると、心に自由な感覚が湧き上がってきて、やがて自分の創造したいものを人生にもたらすことができるようになるといいます。


デービッド・アイク著『ムーンマトリックス(覚醒編③)』

 この世界は、自分で疑問を持ったり調べる努力もせず、他人の意見を自分の意見としてオウムのように繰り返す人間によって、束縛されている。このことを偉大なイギリスの作家オスカー・ワイルドが見事に表現している。


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  大抵の人間は、他の人間である。彼らの思想は誰か別の人の意見であり、彼らの生活は模倣であり、彼らの情熱は引用である。
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 何を信じるべきか教えてやれば、それだけでたいていの人は信じてくれる。多くの人は、自分の考えを持っていないからである。あるいは、真実として教えられたことが、既存の思い込みや願望と矛盾しなければ、信じるのである。




・・・そういったことを踏まえた上で今私が思っているのは、いわゆる伝統と言われるものについてです。伝統工芸、文化、芸能などと言われるものがありますが、大昔から伝わってきて今も廃れずにいるものは良いものという風潮ありまよね。でも、これもやっぱり疑ってみる必要があります。
最近私が考えるのが歌舞伎についてです。ウィキペディアで歌舞伎を調べると、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定[1])。歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言され[2]、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。とのこと。伝統芸能とか、無形文化財なんて言葉を聞くと、多くの人はそれだけでなんか良く分からないけどすごいんだなってなると思います。私自身、もともと歌舞伎にはあまり興味はなかったのですが、それでもやはり、江戸時代(ですよね?)から続いてきたということで、興味はないけど日本の伝統芸能として守っていって欲しいくらいなことは思ってました。
でも、今の私の目で見ると(催眠が解けかかってる)、歌舞伎に対してすごく違和感が湧いてきます。歌舞伎の知識が殆どないので詳しい内容について話はできませんが、歌舞伎って結局、人間の情念や怨念みたいなものを扱っているんですよね?仇とか復讐とか遊女とか幽霊とか鬼、化け物なんかが出てきますよね。今の私にとってそういうものは「重い」って感じちゃうんです(コミカルなものもあると思いますが)。情念・怨念を歌舞伎という形で昇華しているのは分かるのですが、正直私にはもうそういう3次元的な世界はお腹いっぱいなんです(そういう感情は偶然にも爬虫類人が大好物のエネルギーだったりする・・・)。
また、歌舞伎の演目にもよく登場しそうな遊郭とか遊女を文化として美化する向きが世の中にはありますが、私にとってはやっぱり重いです(これまた性エネルギーは爬虫類人が大好きなものです。と言うより、古今東西時代を問わずセックス産業は全て爬虫類人が牛耳ってきた)。だって人身売買でしょう?買う方にとってはウハウハでも、買われる方にとっては地獄だったのではないでしょうか?悲惨な最期を迎えた遊女たちは星の数ほどいることでしょう。彼女達の物言えぬ怨念はそれはもう、凄まじいものがあると思います。劇や映画などで昇華されることを彼女たちは望んでいるのでしょうか?もっと違う形で彼女たちを浄化してあげることができるんじゃないかなぁと思うのです。性をお金で買うという愛のない行為を私たちが止めることもその一つではないでしょうか?(買われる方だけでなく、買う方も魂を傷つける。「愛のない欲望だけの性行為は危険・・・その理由」参照)
売春を文化として美化してしまう地球人て宇宙の友人から見たら、それはもう幼稚園児みたいに見えることでしょう(いや、以下ですね)。こんなことじゃいつまで経っても宇宙ファミリーの仲間入りできませんよ。
また、これはずっと前から感じていたことなのですが、歌舞伎役者の方達から伝わってくる“気”のようなものが私にはあまり良い感じとして伝わってこないんですね。いつもなんとも言えないモヤモヤ感がありましたね。失礼なこと書いちゃいましたが本音です。



情念とか怨念て、右ですね。
mizu3.gif




笑顔が・・・ない?
kabiki.gif




・・・この歌舞伎については、あくまで私個人の感想なので、全く違う意見や感想を持つ方もいらっしゃると思います。歌舞伎を観覧することで、自分の中のネガティブな感情を浮上させる必要がある人もいるかも知れないですね。人はそれぞれです。
あ、『進撃の巨人』も巨人に喰われるとかありますが、あれは私にとって“自由”と“開放”を主題にしているので「重ッ!」っていうのはないですね。





こ・この世界も・・・お・重い。。。

北の宿から 都はるみ 2011'(6) UPA‐0142

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