空色ノート
人類が偽りの世界(マトリックス)から解放されるためにブログを綴っています。同じ目的意識を持った皆さま、どうぞご協力お願いいたします。

羊のままでいるか、そこから抜け出すか、今がその分かれ目

2015年のパラレルワールドの分岐点(調和の世界へ行くか不調和の世界へ行くか)を迎えるに当たり、是非とも今読んでおきたい文↓↓↓
いつでも読めるよう「お気に入り」に入れるか、紙に印刷してバッグや財布に入れておくのも良い。
それくらい大事なことが書いてある!

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zeraniumのブログより


   この社会には、あなたも他の人々と同じように行動するだろうという強い期待感が存在する。しかし、もしあなたが少しでも違う行動をした瞬間、あなたは変人になり、異邦人になる。そして人々はそうした異邦人や変人を極端に怖れる。人々は常に自分たちに適した群集の中にいたいと思っている。あなたが人と違う行動をしたとたん、群集全体が疑いを持つ。何かがおかしい。彼らはあなたを知っているので、あなたの変化に気づくことができる。彼らはあなたが、人々と同じようにしていた時のあなたを知っている。しかし今彼らは、あなたが自分の考えるようにやり、自分自身を受け入れているあなたに気がついている。

   この社会では誰1人として、自分自身を受け入れている人はいない。
   そしてみんな自分自身を嫌い、非難ばかりしている。しかしこれはこの社会のライフスタイルなのだ。そして、あなたが自分を非難せず、自分自身を受け入れて生きるようになると、あなたはこの社会から脱落することになる。そして社会は自分たちの仲間から抜ける人を許さない。なぜなら社会は数で成り立っているからだ。それは数の政治なのだ。仲間の数が多いほど人々の気分はよい。数が多いほど、人々は自分たちが正しいに違いないと感じる。こんなに多い自分たちが、何百万という仲間の人々が一緒にいるのに、自分たちが間違っているはずがないと。

   そして彼らが1人で残されると、大きな疑問と不安が湧いてくる。
   私と一緒にいる人は誰もいない。では私が正しいという証拠はどこにあるのだろうか? この世界では1人で、個人でいることが最大の勇気だ、と私が言うのはこのためなのだ。もっとも怖れのない立場に立つためには、個人である必要がある。「世界中が私に反対しても構わない。大切なのは(群集と同じようにように動くことではなく)、私が自分のためにする体験が有効なのだ」ということだ。

   私は数を見ない。
   どれだけ多くの人が私と同じ意見であるかどうかは関係ない。私は私の体験が妥当かどうかしか見ない。つまり、自分がオウムのように、ただ誰かの意見や言葉を繰り返しているだけなのか、あるいは私の言葉の源が私自身の体験の中にあるかどうかだけを見るのだ。もしそれが自分自身の体験の中にあり、それが自分の骨肉の一部であるならば、全世界が敵対する側になろうとも、私が正しくて彼らが間違っている。

   それで構わないのだ。
   自分が正しいと感じるために、私は彼らの私への同意や投票を必要とはしない。他人の意見に従って生きている者だけが、他人の同意と指示を必要としているのだ。そしてこれが、今までの人間社会が機能する方法だった。これこそが、社会があなたを囲い込み続ける方法だったのだ。

   彼らが悲しむと、あなたも悲しまなければならない。
   彼らが惨めなら、あなたも惨めでなければならない。違いは許されないのだ。なぜなら「違い」とは、究極的には個人へ、個性へと導いてゆくものであるが、社会は個人や個性というものを非常に怖れている。つまり、誰かが群集から独立すると、彼は群集のことはまったく気にしなくなる。そして人々の共通の目的や生き方、人々の経典や聖典は、どれも彼にとっては無意味になってしまう。

   今彼は、自分自身の道とライフスタイルを持っている。
   彼は自分自身の人生というダンスを踊るために、本来の故郷へ戻って来たのだ。しかし群集は故郷へ戻ることはできない。誰であれ、1人の個人にならなければ故郷へ帰ることはできないのだ。

自分本来の「内なる感覚」を取り戻す

   それは外側からは観察できない。
   頭痛がする時、それはあなたにしかわからない。しかもそれは証明することもできない。あなたが幸せな時、それはあなたにしかわからない。実際、この感覚は完全に内なるものなので、それが存在することさえ証明することはできない。科学はその存在をずっと否定し続けているが、それを否定するのは人間的ではない。科学者でさえも彼が愛を感じるとき、自分が内なる感情を持っていることを知っている。

   何かがそこにあるのだ!
   そしてそれは物質ではないが、それでも確かにそれはそこに存在する。内なる感覚はそれ自体の妥当性を持っている。しかし人々は科学的な訓練のために自分の内なる感覚への信頼を失ってしまった。そうして彼らは他の人に依存するようになった。誰かが「あなたはとても幸せそうに見える」と言うと、たちまち幸せを感じ始めるほどに、あなたは他人の言葉に翻弄されるし依存している。

   もし20人の人々があなたを不幸せにしようと決めて実行したなら、彼らは簡単にあなたを不幸せにすることができる。彼らはただ1日中、同じ言葉を繰り返して聞かせればよいのだ。あなたは彼らと出会うたびに言われる、「とても不幸で悲しそうに見えますが、どうしたのですか? 何かあったのですか? それとも誰かを亡くしたとか?」 それを20人の人々から繰り返し言われるうちに、あなたはこんなに大勢の人から同じことを言われるなんて、自分は不幸なんじゃないのか?と。

   それはほめ言葉も否定的言葉も同じことだ。
   あなたは人々の意見に頼り、翻弄され、依存しきっている。そのために「内なる感覚」の痕跡をすべて失ってしまっているのだ。この内なる感覚は再発見しなければならないものだ。なぜなら美しいもの、善なるもののすべて、そして神聖なもののすべては、内なる感覚でのみ感じられるものだからだ。

   人々の意見に影響されるのをやめなさい。
   人々の言うことではなく、自分の内側に心を傾けることであり、あなたの内なる感覚があなたに何か告げることを許しなさい。あなたがそれに信頼し始めるならば、それはますます大きくなっていくだろう。あなたの信頼とともにそれらは育(はぐく)まれ、それはもっと強くなっていく。

   内なる感覚に出来る限り多くのチャンスを与えなさい。
   いつも外の権威や、他人の意見、既成の答えなどを探してはいけない。あなた自身をそうしたものからもっと独立させなさい。そしてもっと多くを自分で感じ、あるいはもっと考えないようにしなさい。

   バラの花を見に行きなさい。
   しかしオウムのように、「これは美しい」と繰り返すのはやめなさい。これは人々があなたに言った意見に過ぎない。子どもの頃からずっと、「バラの花は美しい。素晴らしい花だ」とあなたは聞き続けてきた。そのためにバラの花を見ると、あなたはコンピューターのように「これは美しい」と自動的にただ繰り返してしまうのだ。あなたは本当にそう感じているのだろうか? もしそうではないのならば、そう言うのはやめなさい。

   月を見る時、月は美しい、と言ってはいけない。
   それがあなたの内なる感覚ではないのならばだ。あなたは自分の頭の中に持っている99%のものは、実は外から仕入れた借り物だという事実にびっくりするだろう。そしてその99%の無益なものの中に、あなたの「1パーセントの内なる感覚」が沈んでいるのだ。だからあなたのものではないそうした知識を落としなさい。そして、あなたの内なるオリジナルの感覚を再発見しなさい。

   神聖なるものを知ることができるのは、「内なる感覚」によってである。
   私たちには六つの感覚がある。五つの感覚は外的なものであり、それに第六感と言う内なる感覚がある。それはあなた自身について、物事の究極的な根源について、あなたに何かを示し教えてくれる。その感覚が発見されなければならないものなのだ。

   この世でもっとも大きな恐れとは、他の人々の意見に対する恐れだ。
   そしてあなたが群集を怖れなくなったとき、あなたはもはやその羊ではなくなり、ライオンになる。その時、あなたのハートから巨大な咆哮(ほうこう)が起こる。自由の咆哮だ。初めて彼は自由とは何なのかを知る。今や誰かの意見に対する恐れはなく、人が何と言おうとかまわない。彼らがあなたを何と呼ぼうと、それは何の意味も持たない。そしてあなたの唯一の裁判官は神なのだ。しかし人は神によって裁かれることはない。神とは全宇宙を意味しているのだ。
   そしてこの宇宙は我々の宇宙であり、我々はその一部だ。
   ゆえにそれを怖れる必要はないし、それから何かを隠す必要はない。実際に、もしそうしようとしても、あなたは隠すことはできない。全体はすでにそれを知っており、しかも全体はあなたが知っている以上に、さらに多くのあなたのことを知っているのだ。

   群集が問題なのではない。
   あなたが問題なのだ。群集があなたを引き付けているのではなく、あなたが引き付けられているのだ。誰か他の人からではなく、あなた自身の中にある無意識の条件付けのゆえに引き付けられているのだ。よって、誰か他人やよそへ責任を押し付けてはいけないということを覚えておきなさい。深いところではそれはあなたの責任なのだ。


      book 『 Courage (勇気)』  OSHO   Kadokawa Shoten

                            抜粋








 the PLANET from NEBULAより

私達は、”一般論”に添って生活してきたので、”自分”という存在を、”一般論”に押し込めて考えてきました。これにより、”一般論”に収まりきらなかった、貴方のエッセンスは、蓋をされて見えないようにしてきたのです。

しかし、今世で貴方は、自ら付けた”蓋”を見つけ出し、本当の”素の自分”を引き出すために、この世界へ輪廻転生してきたのだと、バシャールは話します。本当の貴方らしい貴方を表現する為に、今を選んでやってきたのです。

貴方が本当にしたい事を、リストにして書き記して見て下さいと、バシャールは話します。そうする事で、貴方が本当にしたい事、そして、貴方が本当の”素の貴方”を見つけているか、という事が、リストにより理解出来るでしょうと、バシャールは話しています。貴方が作ったリストを見て下さい。結婚する事が、貴方の仕事ではありません。仕事を見つける事が、貴方の仕事ではありません。貴方が、本当に心の底からワクワクする事だけを、書いて下さい。いくつあっても良いのです。貴方のワクワクが、そのリストに反映されるように書いてみましょう。




「大いなる秘密㊦ 世界超黒幕」 デビッド・アイク著 三交社

   バビロニアン・ブラザーフッド=イルミナティはそのことを我々に隠しておくために、すべての情報をコントロールしてきた。学校や大学や「科学」機関で教えられることも、マスコミが信頼している情報も管理、操作してきた。そして彼らが用意した『標準』に異議を唱えるものはどんなものでも抹殺されてきた。人間はこれまでもずっと、マスコミを通じて上映されている「世界という映画」を観て、それを現実だと信じ込んでいる。だから本当の世界は視界からは隠されているのである。ジャーナリストは世界で起きていることを伝えているのではなく、前もって用意された映画の筋書きをレポートしているに過ぎないのだ。

   もしマインドコントロールの定義を、「人の心を操作して望むような思考や行動をとらせること」とするなら、現在の地球上でマインドコントロールされていない人間がどれくらいいるだろうか。

---略---

   大衆というものは、恐怖や無力、絶望の状態に置かれると、心のスイッチを切ってしまう。そして意図された通りの羊の群れになり、生涯を通じてただ呆然と、他人の動きに合わせて動くだけの「烏合(うごう)の衆」になってしまうのだ。だが人間の心と感情を操作することで根源意識から切り離すということは、これよりもずっとはるかに根が深いのだ。



『ハイジャックされた地球を99%の人が知らない』 デービッド・アイク著  ヒカルランド 
  
  脳はだまされやすい。
  テレビを見ているときの脳波の状態は、催眠術師が知覚プログラムを植えつけるときとそっくりだ。(トランス状態) これも偶然だろうか? とんでもない。テレビは映像や音声以上のものを私たちに伝えている。そして人々は何を見るか、何を食べて、着て、考えて、そして何になるかまでテレビに指示されているのだ。そして成功とは名声と富を得ることであり、挫折とはそれを失うことだと信じ込まされている。

   もっとも強力な暗示は、意識的な精神を迂回して(より深い)「識閾下」に送られる。
暗示はやがて潜在意識から意識的な精神に浸み出してきて、その人自身の考えや願望や、アイディアとして定着する。本来の自分自身の考えや知覚を持った人間がどれほどいるだろうか。ほとんどの人の考えや願望とは、こうした無数の情報源を通して植えつけられてきたものなのだ。しかもその中身は、秘密のプロジェクトや、中枢にいるエリート集団だけが知っている。

   広告がサブリミナルテクニックを駆使して、知覚を操作していることは周知の事実だが、それ以外にもテレビやラジオ、そして紙媒体による「ニュース」もしていることは同じだ。メディアはあらゆるできごとについて(ウソの)公式報道を拡散し、マインドコントロールの有力手段である「反復」によって、知覚プログラミングに貢献している。権力側から公式の報道内容が発表されると、主流メディアはそれを真実として四六時中同じことを繰り返す。





暴露されたサブリミナルメッセージ

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